「祇園祭」とは災厄を呼ぶ悪い神様を呼び寄せて、地域の人達がお囃子や練り歩きをする事によって、悪い神様が少しずつ楽しい気分になったところを天王社の神様(午頭天王)が封じ込めて祓うという伝統があります。 それによって「疫病退散」「五穀豊穣」を願うとされています。

 「ふくい祇園まつり」ではこの伝統的な祭祀を執り行うことで防災・健康・食に対する感謝の気持ちなどを改めて考える機会として、その事が地域住民の防災意識の醸成や地域の活性化などの「まちづくり」にも寄与出来れば幸いと考えております。

 また、各地域が抱える諸問題をこのまつりを通じて祓う事で、地域が一年間無事に暮らせるといった考えの下、楽しみながら喜んで参加して頂けるまつりにしたいと考えております。

祇園まつりの歴史

 福井祇園祭は、今から約340年前、1675年(延宝3年)に5代藩主松平昌親が京都の祇園祭を参考にして、旧北國街道沿いの北と南にある牛頭天王社(松本の簸川神社)(木田の木田神社)にて祭事を行うことにより、疫病災厄が他所から入ってこないようにとの願いを込めて振興をはかりました。                            

 以来、歴代藩主の手厚い保護を受けて斉行されたそうです。 同催事の詳しい文献が殆ど残存していないために、伝聞に頼る部分が多いですが、昭和20年代頃までは華やかに催行されてきたとされています。

 その後長らく中断していた理由として、戦後復興から高度成長期に町中の至る所に縦横無尽に配線が張り巡らされたことにより神輿や山車の移動が困難となり、いつしか自然淘汰的に中断を余儀なくされたと伝え聞いております。しかしながら木田神社関係者らが長年この祭りの復活を渇望しておりましたところ、平成7年に地域住民の全面的な協力で、約半世紀ぶりに同催事を復活させることができました。 

 以後20回の開催を続けて福井市南部の夏祭りとして定着してきましたが、徐々に形骸化して行き、一部の人だけが義務的に参加することには疑問を呈する人も多くなりました。

 そこで、平成28年より体制を一新し、「ふくい祇園まつり」と名称を改めることで、親しみやすく誰でも参加できるようにし、一地域だけではなく、各地域から様々な山車を巡行させる事によって、地域住民の手で各々の地域の魅力を発信できる場としても活用して頂きながら、古い伝統と新しい文化の創造の調和した「まつり」とし催行して行きたいと考えております。 

「ふくい祇園まつり」運営母体

ふくい祇園まつり振興会 運営スタッフ一覧

会  長:堀田達也

副会長:馬渕亮一 坂田信行 宮井俊光

事務局長:山崎貞一

役  員:吉井 恵子(会計)下村 文則 谷口 祥冶

     田嶋 則次 工藤 紀昌 小辻 誠 池田 登容子

監  事:川井 清機 島田 和成

協力企業・団体(H28年実績 17団体 89社)

木田神社天王会、豊公民館、木田公民館、足羽公民館、社南公民館、 みのり自治会連合会、木田自治会連合会、江守の里自治会連合会、 毛矢大通り商店街、木田銀座商店街、春江中庄、板垣白鷺太鼓、 お天王さん子供神楽、ショッピングシティベル、セーレン㈱等 

フェイスブックページ「ふくい祇園まつり振興会」

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